代表 山西春香
1984生まれ 名古屋出身 名古屋育ち
三兄弟の母(小5、小1、年少)
高校を卒業後、家を出たい一心で
千葉県九十九里にてライフガードの住み込み
その後、名古屋市にて
スポーツクラブに勤務
ベビーから成人までのスイミングを担当
イベントの企画、運営
4年の勤務を経て
子どもの頃からの夢
『保母さんになりたい』に
もう一度チャレンジ
保育園での勤務は12年
生後58日からの乳児保育 異年齢での保育
障がい児保育 夜間・休日保育
小規模保育園での家庭的な
暮らしを大切にした保育を実践
産休明け(生後58日)〜の乳児保育を中心に
年長さんまでの子どもたちと
12年間過ごす
乳幼児期は人間の土台を育む大切なとき
そんな時期に
温かい眼差しを感じ
大人にたくさん甘え
受け止めてもらえる安心感
この土台が、児童期、学童期、思春期
そして大人になっても
大切な土台となることを学びました
25歳 結婚
長男出産までは、研修、実践交流
分科会、労働組合の活動に参加
30歳 第一子出産
18歳から働き続け
人生で初めて仕事を長期で休み
復帰したものの
どこをどう手を抜いたらいいのかわからず
思うように仕事ができない!
という苛立ちと
今しかない子どもとの暮らしを
味わい尽くしたい!
と、どちらも譲れずもがき苦しみました
33歳 第二子出産。ここから専業主婦へ
朝から寝るまでずーーーーっと
子どもと過ごす暮らしから
逃げ出したくなりました
もちろん楽しいこともたくさんある
でも、1人で全てを抱え込むのは
やっぱりしんどい
この頃から、子どもも楽しい!
母もひと息つける。ご飯もある。
そんな場所ってないのかな?と
模索する日々が始まりました
34歳 死産(後期流産)
ここからしばらくは
心を閉ざし、引き篭もりました
どうしても自分を責め
『なぜ?』と、自問自答する日々
とても苦しい日々でした
しかしながら、上の子たちのおかげで
お散歩にでかけたりすることで
救われていました
35歳 流産
このときも、やはり上の子がいることで
仕事はなくても、誰かと挨拶を交わしたり
何気ない話をすることで救われていました
36歳 第三子出産
コロナ禍での出産は
不安はあったものの
休園・休校により時間に追われることなく
子どもたちとのんびり過ごせる日々は
大変だったけれど
気持ちにゆとりが生まれていました
出産後も、人混みをさけ、
広々した公園の芝生に通う日々
生まれてきた赤ちゃんを連れて行っても
の〜んびり過ごすことができ
『めちゃくちゃいい!』と実感
忙しない日常が戻りつつある中で
『子どもたちとゆったり過ごす大切さ』
に改めて気付かされました
日々のいろんなことに追われ
寝不足も続いていくと
赤ちゃんの泣き声、子どもたちの声
『ママ!ママ!』と
呼ばれる声が苦痛になってくる
日中の暮らしを
お母さん一人では抱えきれない
そんな時
『親子に+αの人がいる』
『安心して過ごせる場所がある』
子どもたちだけではなく
お母さんを受け止めてくれる人もいる
というのはとても心強い
『一人じゃない』
日中を子どもと過ごすお母さんたちが
子どもとの時間を大切にしながらも
ほっとひと息、ふ〜っとひと息つく
『ゆとり』が生まれ
親子関係が
より深く育まれていくのではないか?
と考えています
そんな場所がお母さんたちにとって
子どもたちにとって
そして社会にとって
必要であると確信し
この活動を、事業として確立し
みんなに届けたい!と
現在に至っています